Cello Repubblica
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J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲〜神戸公演に向けて〜
既に地球的財産であり、人類の至宝とも呼べる「無伴奏チェロ組曲」は、僕が今更何を語ってもとうてい語り尽くせる物ではないものだ。しかも文章で語るのではなく、演奏で語る事を目指したい作品である事だけは間違いのないところだと思う。
僕の音楽人生において、いつもバッハの「無伴奏チェロ組曲」は身近にあった。
いや、
僕の音楽人生は、バッハの「無伴奏チェロ組曲」に静電気に集まる塵の様にまとわりついてきた、と訂正させていただきたい。
バッハが一番好きな作曲家であっただけでなく、入学試験から大学に入ってからの試験、オーディション、コンクール、すべてにおいてこの「無伴奏チェロ組曲」が課題曲であったし、節目では必ず弾いてきた。
そして、オーケストラや室内楽に生活の大半を費やして来た僕にとって、一人になる時間として、自分や自分のチェロを見つめる貴重な時間として、この「無伴奏チェロ組曲」は最も重要な曲であることは間違いない。
その「無伴奏チェロ組曲」の作曲年代には諸説あり、一般的には1720年頃、バッハがケーテンの宮廷楽士の頃に作られたと言われているが、最近ではもっと前のワイマール時代に書いたのではないかという説が有力になっている。
子供が10人以上いて、家の中はいつもザワークラウト(キャベツの酢漬け)の匂いが充満していたというバッハの家庭からどのようにしてこの作品が生まれたのかは、明確な答えが見つからないだけに、とてもロマンに満ちている。しかもバッハ自身の自筆譜が現在では見つかっておらず、2番目の夫人、アンナ・マグダレーナ・バッハの写譜しか現存していない。写譜と言ってもあたかもバッハの自筆譜に見間違える程美しい楽譜である。
いや、もうこういう事はいいだろう。研究者に任せ、多種多様な文献での諸説を読んで楽しんで頂ければと思う。
僕は昔からこの作品を、大きなホールではなく、こじんまりとした空間で演奏したかった。そしてバッハ、演奏者、聴衆との語らいの場所とする事が夢でもあった。
常にフローリングの上にある埃の様にバッハにまとわりついて来た名古屋生まれの男が、松尾芭蕉が奥の細道の旅に出た頃イタリアで作られたグランチーノというチェロと、ペリーが開国を迫った頃に作られたフランスの弓で、徳川吉宗が将軍となり享保の改革を掲げた頃作られた、ドイツの「無伴奏チェロ組曲」を演奏する。
・・・さすが神戸。なんとも国際色豊かである。
2007年4月 Hiroyasu
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Posted by staff@2007/6/28 木曜日21:53:20




